「なにわの名工」とは大阪府優秀技能者表彰といい、「優秀な技能者を表彰することにより、広く社会一般に技能尊重の気風を浸透させ、もって技能者の地位及び技能水準の向上を図ることを目的」として1970年(昭和45年)から実施されており、昨年までに1563名の方が表彰されています。 |
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1きわめて優れた技能を有し、その技能が府内において第一人者として認められる者。
2表彰日現在、優秀な技能を持って、15年以上の実務経験を有し、かつ、その職業に従事している満年齢35歳以上の者。
3職業を通じて、後進技能者の指導、あるいは教育、訓練に携わり、技能者の育成に寄与したこと及び技能に関する工夫、改善等によって生産性の向上に役立ったこと等により、労働者の福祉の増進及び産業の発展に寄与した者。
4勤務成績、日常行為等において、他の技能者の模範と認められる者。
5大阪府内に居住又は府内の事業所に勤務する者。(自営業主及び家族従業者を含む。) |
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澤田勝明さんの表彰は、「ガラスの種類によらず、精度の高い手加工の技能を有し、とりわけ石英ガラスの手加工の技術や種類の異なるガラスのつなぎ加工の卓越した技能は府内の第一人者である。またルビジウム発信器の中核となるルビジウムランプの安定性や生産性の向上にあたって、製品の均一性を高める等の研究に開発段階から関与し、
現在の製造技術を確立するなど、理化学関係の地域産業の振興に寄与している」と評価されました。澤田さんに受賞された感想をお聞きしました。
■「なにわの名工」に選ばれて、ご感想は?
まさか選ばれるとは思っていませんでした。正直半信半疑でしたし、簡単に選ばれるとは思っていませんでした。選ばれたと聞いたときには「あっ」と驚きました。
■どんなお仕事ですか?
この仕事一筋に、今年ちょうど50年になります。私のところでは、ガラスの手加工の技術をつかって紫外線殺菌ランプを主に生産しています。ランプを作っているところはいくつかありますが、加工をしているところはないんですよね。電極も私のところでのオリジナルの手作りです。メーカーさんからの図面に基づくオーダーメイドになります。
紫外線殺菌ランプは、例えば飲料水メーカーの製品貯蔵タンクの殺菌のために使われます。大きなタンクにはどうしても上部に空気の層ができますから、そのままでは菌が繁殖します。それで殺菌しなければならないため紫外線殺菌ランプが必要になるわけです。またテレビや携帯電話などの液晶の洗浄ラインでも使われています。以前は有機溶剤で洗浄していたらしいのですが、人体に影響するなど処理が大変だったらしいです。
ただこういうランプは数がでませんし、ほとんどがオリジナルですから大量生産にはなりません。もし数がでるのであれば大手メーカーが参入してきます。
このところの不況で生産ラインを減らしたりするものですから、その分私のところの仕事も減ります。取引先のほとんどは大手企業ですが、このところ大きな取引は中国や台湾です。国内は全然だめですね。最近、中国でも紫外線殺菌ランプを作り始めていますが、やはり日本での歴史と経験、技術力にはまだまだ及びません。ガラス部分の不純物をいかになくすか、紫外線効果をいかにして高めるか、また製品の寿命をある程度維持するか、やはり技術力ですね。例えばフィラメント、タングステンコイルに塗布しているのですが、当然薄くてもだめ、濃くても製品にはなりません。
こういう繊細さは日本人の得意分野です。ですがいずれ中国の技術力も向上していくでしょうね。
発信器に使われるランプもつくっています。もともとは水晶発信器で、海外から輸入していたのですが、国内で生産ルートを作りたいという大手メーカーさんの要望で、ルビジウムを使ったランプを開発し生産しています。これは飛行機や船舶の自動操縦を助ける部品として使われています。当初ガラスの材料を何にするか、20種類以上試しましたね。このルビジウムを高周波で分解して吹きつけてやります。そしてランプの中の空気を排気するのですが、この作業にまる2日間かかります。
また、つなぎ合わせの部分は材質が違います。パイレックスガラスと硬質ガラスをつなぎ合わせています。膨張計数など考慮した上で、手作業でつなぎ合わせていきます。最初の頃は失敗したら大変なので2本ずつ作っていましたが、今は44本作れるようになりました。技術と経験が求められる仕事ということでしょうね。こうして私のところで作ったランプをランプメーカーで組み立てて製品化しています。今このランプは日本で私しか作っていません。ほとんど手作りで、緊張を強いられる仕事ですが、単価は非常に安い。製造業の悲しいところです。
■この仕事を始められたきっかけは?
そもそもこういう仕事がしたいと思ってはじめたわけではないのです。実家が事業に失敗して生活が苦しくなったため、手に職を身につけようと知り合いの勧めで京都のガラス加工の修行に出ました。軟質ガラスで、300℃から400℃で融解するもので、理科の実験などで使用しているガラス製品の加工です。約7年間師匠について修行して、大学などの研究所で使われる理化学の実験器具を作って営業もしていました。その後数年間ほどは誘われるままガラス加工会社に勤めましたが、関西大学が中心となって進められていた関西空港の調査活動に協力するようになりました。その縁で関西大学工学部の嘱託職員として、工学部の学生にガラス加工を教えていていました。関西大学では実験器具を業者に頼んでいましたが、時間がかかるし、要望に応じた器具がなかなかできない。オーダーメイドの実験器具を作ることができる私は重宝されました。
今から40年ほど前になりますか、ランプメーカーの社長から「紫外線殺菌ランプを作りたい。ぜひ開発、生産に力を貸してほしい」と頼まれました。当時からドイツやフランスでは技術力も実績があったのですが、輸入するとなるとコスト高は避けられません。それまでのパイレックスガラスの加工から、石英を使ったガラス加工へ、当時はそういう技術は日本にはありませんから、一からの開発でした。
パイレックスの融点は大体700℃ですが石英は1400℃です。石英は透過力に優れています。紫外線ランプは透過力が勝るほうがいいのですからね。石英ガラスが一番高品質ということになります。しかしその分材料費も高くかかります。今は日本でも石英ガラスを生産していますが、当時材料を手に入れるのも大変でした。
ランプメーカーで一通りの技術、ノウハウを作り上げ、引き継いだうえで20年前に独立しました。
■今後の期待は?
この技術や経験は今後も日本にとっては必要不可欠なものです。しかし、今どきの若い人にこの地道な仕事、修行は難しいのが現実です。
例えば助手を雇用したとしても給料分の仕事をこなして、では技術は継承されません。また、原材料の価格が非常に高く、製品化しても単価は安いものですから、材料を割ってしまったら経営は成り立たなくなります。現実問題としてやってもらう仕事がないのです。
息子が事業を継いでくれていますが、高校卒業してすぐにメーカーに5年間の約束で、いわば修行にいったのです。結果的には社長に引き止められるまま7年間でした。今どき製造業で二代にわたって継承できるということがめずらしいことです。私が今68歳ですが、75歳までは続けたいと思っています。それまでに息子に技術を伝えることと、経験をつんでいってほしいと思っています。
以前、紫外線殺菌ランプの受注が一度に大量に集中したことがあって、私のところでの生産では納期に間にあわないことがありました。それで紹介もあって、中国に材料と図面を送って生産の一部を依頼することがありました。5年ほど前、息子が中国へ行って技術指導をおこない、手仕事ではなく旋盤で作るんですね。難しい加工は望めませんが、簡単なものは中国で生産してもらうことで助かっています。
この技術は一般向けのもではなく、特殊なものです。昔からこの分野に関わる人は少なかったのですが、それだけにこの技術は継承していってほしいと思います。
■後継者の澤田元(はじめ)さんにも聞きました
澤田元さんは「正直親子という関係では仕事はやりにくいですよね。父の技術を認めているからこそ、できる部分とやりにくい部分があります。最近は意見の違いからやりあうこともあります」「市場が狭いということもあり、我々のようなところでもやっていけると思います。大企業が参入したらやっていけなくなります。それだけに技術と経験が大事なんだと思っています」「今後なくなりはしないと思いますが、大きくなることもないと思っています。新しい技術が開発されると立ち行かなくなると思います」と話します。
今回のなにわの名工受賞については、「やっと認められたのかな、というのが正直な感想です。身近なところで見てきましたから、もと認められてもいいのにな、と思っていました」「ガラス加工というと、どうしてもガラス民芸に注目が集まります。ですから歯がゆいものを感じていました」と話します。 |
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