2011年5月12日に開催した拡大推進委員会で、「どうすれば仲間が増えるか」、「今、中小業者が求めているものは何か」、「吹田民商の魅力は何か」等を自由に議論しました。そのなかで「商売、人生、民商運動を語ることが大切ではないか」との発言があり、それを受けて、2年後の50周年に向けて皆が交代で手記を書くことになりました。
@ 工藤 芳昭 さん(副会長)
 私の郷里は四国徳島です。祖父の代から四国の製材所相手の木工機械の販売を20人くらいの社員がいて結構広く商売をしていましたが、戦後製材所の廃業が続く中、私が小2の時に会社は倒産しました。四国と言えば弘法大師様が開場したと言われる霊場88ヶ所参りが有名です。
 徳島では古くから「お接待」という風習があります。霊場巡りのお遍路さんにいろいろおもてなしをすることです。信仰深い祖父母はお遍路さんを見たら家へ寄ってもらい、お接待をしていました。
 「門前の小僧、習わぬ経を読む」じゃないけど小学校の頃には般若心経を覚えていました。そんな中で育った私は今でも性善説を信じ、今迄に損をしたことやだまされることも何度かありました。でも、よい行いをした分だけ自分自身に良いことが帰ってくるという因果律はあると思っています。
 それは元気な体を両親から貰ったことです。小中高の12年間1日も休まなかったこと。64歳の今まで一度も寝込んだことと肩こり、胃痛の経験がありません。丈夫に生んでくれた親に感謝しております。
私が大阪に来たのは27才の時です。祖父の影響か、商売人になりたくて、高校卒業後、東京の叔父の所で8年間家庭科教材販売業を見習いました。結婚を期に郷里に近い大阪で始めたものの最初は取引先の開拓からです。すぐにはうまく行きませんでした。それで西成の日雇い労務者として20日働き10日ほど学校まわりをすると言う生活を3年しました。ちょうどその頃、幼稚園児がすべり台でかばんの紐が首に掛かり亡くなった記事を新聞で知り、ひらめきました。「そうや鞄を背負い型」にしたら両手があき、そんな事故もなくなるのでは、さっそく家庭科教材でミシン修理もできるようになっていた私は見本を作りヒット商品となりました。いまでも同型で販売しています。
 私が民商の会員になったきっかけは今から26年前のことでした。先週税務署から送られてきた「収支内訳書の提出」をです。これは大変なことになったと思ったことからです。それまで税務署に行って申告をしていた私に署員が言いました。「今年からこの書類を提出してもらうことになりました」主な取引先、仕入先、金額など言われるがまま1年目は記入して提出しました。翌年の提出時です。私の仕事は新学期用品のため1月から3月末は超多忙な時期となるため、申告の事務的負担が大変なのでどうしようかと悩んでいました。
 「税金のことなら民商に!」とビラが入っていたのを大事に持っていた私は3月13日夕方に事務所に直接相談に行きました。いまから思えば統一行動が終わってホッと一息ついていたころだと思います。局長にいろいろ教えてもらって目からウロコです。税務署員が言っていた事に従わなくても不利益な扱いをしないこと。出すか出さないかは本人が決める事、出さなくても罰則はないことを学習し、一人で悩んでいたことが相談して本当によかったと心の底から思い、胸につかえていたものがスーッと消えた気分で帰ったことを思い出します。
 その後は大阪在住の友人や商品を扱ってもらっている販売店などに民商への入会や商工新聞の読者にと勧めてきました。また、今東日本の大震災や原発事故等の国難の時に乗じて民商つぶしを目的にしているような国税通則法の改悪や震災以上の大激震、消費税の10%〜15%へと増税を企んでいる政府に対し、署名を増やし、民商仲間の拡大ではね返したいと思っています。いま立ち上がらなければ業者はつぶされます。自分の営業と暮らしを守るために一人でも多くの仲間をふやす事をみなさんでやりましょう。
吹田民商「いんふぉめーしょん」No.812 11.6.13
A 竹田 洋一 さん(副会長)
 私は、小さな工場がたくさんある東大阪で生まれました。周りの友人の家も工場や業者が多く、会社勤めより自由な気がしました。「私も手に職をつけて独立したい。」そう思っている時に、たまたま遊びに行った神戸の北野坂近くの小さい美容室の前を通りかかると、店から出てきた女性がとてもうれしそうに、何度もお礼を言いながら帰っていく姿に出会いました。あんなに喜んでくれる仕事があるんやと、その場で店の人に働きたいと頼みました。外国人の方でしたが、「高校を卒業したらおいで。」と言われ、卒業後に弟子入りしました。
 4年で資格をとり、派遣の仕事で資産を蓄え、27歳で千里丘に店を出しました。民商の千里丘支部では、月田、工藤両副会長が当時も役員で、なにかと元気づけてくれました。しかし入会当時、民商が何かわからず「何でこの人ら、人の心配してくれるんやろう。」と、私は協力的ではなかったと思います。しかし、失火で家をなくした時、すぐに共済会の見舞金を持ってきてくれました。共済に入っていて良かったと本当に感謝しました。
 その後の借金問題の解決も「さざなみ」の相談会に参加することで、自分の弱点に向い合う機会になりました。今は、店の経営改善にも取り組んでいます。失敗ばかりの経営でしたが、子供2人も大学生と高校生、妻も元気です。色々ありましたが営業を続けています。民商に入っていなかったら、商売を続けてなかったと思います。
 かつて私も支えられたように、仕事に生きがいを持ち、子供を育み、家族を守る大切な仲間のために、民商運動を大きく力強い運動にすることが、私たちの暮らしと営業を守ることと、確信を持っています。
 商売の厳しい時代を迎えます。私と一緒に6月24日の経営講座に参加し、新鮮な知識を取り入れて、明日からの営業に生かし、好きな商売を繁盛させましょう。
吹田民商「いんふぉめーしょん」No.813 11.6.20
B 比嘉 勲 さん(常任理事・江坂西支部長)
 吹田民商との係わりは、記帳要求で、同業者の紹介でした。彼は国会議員の秘書をしていたそうで、今でもお世話になっています。気軽に相談にのってもらっています。サラリーマン21年、自営業19年、秋には20年目に入ります。営業を始めたころは失うものも多く、生活がとっても苦しかったことを覚えています。
 3・11大震災は辛いものがあります。阪神大震災のとき、大事にしていた仕事を失いました。これから生活がよくなっていく兆しが出てきた矢先の出来事でした。そんなときに新しい取引先を紹介してくれたのが民商の役員さんでした。今でも本当に感謝しています。ほっと一息つくことができて、そこから本格的に民商との係わりが生まれた気がします。長年会員として在籍していますが、これと言って協力できずにいる私ですが、一番は人が好きで、多くの人と出会い学んでいます。暮らしと営業を守るため、原点である貧困と怒りを忘れずにやっていきます。民商運動も「なんくるないさ〜。」第48回定期総会も終わりました。一致団結して今期も頑張りましょう。
吹田民商「いんふぉめーしょん」No.814 11.6.27
C 山口 正史 さん(会長)
 早いもので、民商に入って30年になります。当時、鯉釣りに夢中で、仕事から帰ったら、毎日晩メシも食べずに、近所の池に行っていました。
 そこへ、月田さんと事務局が二人で来て、「青年部に入ってや。ついでに野球部にも。」と言うことで、幸か不幸か、民商運動の始まりになりました。
 世の中変えてやる、そんな大志を抱いて運動を始めた訳ではなく、楽しい仲間と、楽しく活動して、それで世の中、少しでも良くなれば「もうけもの」そんな想いでした。
 人それぞれ、民商への想い、運動への想い、色々あると思います。肩肘はらずに、自分の出来る事を精一杯、それで充分と思います。
 役職が、人間を成長さすものとは、あんまり思っていません。そういう人がいるなら、その人が元々持っている、資質だと思います。
 いろんな会議に出ていると、確かに知識は増えます。それは、人間として成長した訳じゃない。政治家や芸能人に多い、勘違い人間。どこかの知事さんもその一人です。そんなカッコ悪い、勘違い人間にはなりたくないものです。
 この企画を頼まれた時、少し悩みました。文書に出来るとしたら、民商のことぐらいかな。人生・商売は、あまり書くことがないかな。書くことがないと言うよりも、書けないのです。(特に人生は)
 でも、書けないことが、一番オモシロイ事です。興味ある人は、個人的に酒でも酌み交わしながら、私の人生観聞いて下さい。オモシロイですよ! お誘い待っています。
吹田民商「いんふぉめーしょん」No.815 11.7.4

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